亥の子祭りの由来
「亥の子」というのは、歴史の古〜いもんでなア、
なんでも平安時代のはじめの頃からあったそうじゃ。
もとは中国の言い伝えで、"無病のまじない"から始まったそうじゃが、
時代が進むうちに秋の収穫の祝いや猪にあやかった
多産祈願の意味なぞが加わったそうなでェ〜。
ほじゃが、西日本、特に広島地方だけに残っとるには訳がある…。
この広島には江戸時代(1669年、1754年、1758年)に大火が
3回もあったんじゃ。
それで亥の子にこたつを出す習慣もあったことから、
"火の用心"今で言えば"防火キャンペーン"じゃな、
それを町ぐるみでやりだして、
年中行事として他の地域より定着してきたんじゃそうな…。
そもそも「亥の子大明神」は
「スサノオノオオカミ」と「ホノカグヅチノオオカミ」「コウジンノオオカミ」の
3つの神様の総称でな、どれも荒ぶる神様たちじゃ。
子供たちが縄を付けた石で、
唄いながら(これは一種の呪文じゃそうな)地面をついて
家々を回るのは、
その荒ぶる神様たちを地中に封じ込めるというよりは、
荒れんようになだめて静かにしてもらうんじゃ。
"餅をつく"の"つく"は"清める"ゆう意味もあるそうじゃからのオ。
昔は「亥の子」に使う石は、
それぞれの町や村の籠り屋で、
少年たちだけでおハライしたものを使こうたんじゃ。
その籠り屋が自分の土地への共同体意識の象徴で、
通過儀礼でもあった…いうわけじゃのオ〜。